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日々思った事と旅を関連させて…

JULY 7, 2004「The customoer is always right.」
JUNE 1, 2004「省エネと電灯」
MAY 16, 2004「建築家エクトル・ギマール」
MAY 8, 2004「フェルメールを語る」

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JULY 7, 2004  「The customoer is always right.」

The customoer is always right.
イギリスの有名な大型デパート、セルフリッジ(selfridges)の接客精神である。
語学学校で、この一文を教えてもらったとき、先生が「セルフリッジの言葉だよ」と言って、皆「へ〜そうなんだ〜」と感心していたが、ロンドンに来たばかり&ショッピング事情に疎い私は、セルフリッジ自体をよく知らなかった。だからその時はただ、日本語の「お客様は神様です」と同じ表現があるのだなぁと思っただけであった。
とはいっても、tubeの中や、Oxford Streetを歩いていれば、必ず誰かがその店のロゴ入りの黄色いビニール袋を提げているのを見た。

私も一度は行ってみるか、と思っていたが、結局行きそびれてしまった。

こんなことを急に思い出したのは、大学のイギリス文化についての授業で、セルフリッジの話が出てきたからだ。冒頭の言葉には、実は大きな歴史的意義があったことを知ったのだった。

 

それまでのデパートは、カウンターがあって店員に奥から逐一商品を出してもらうという、気軽にショッピングが楽しめるようなものではなかった。しかし、The Lower Middle Classの人々が、新たな消費者となった19世紀後半、彼らにもとっつきやすいデパートを作れば成功する、とアメリカからやってきたのが、Gordon Selfridgeだった。セルフリッジは1909年にロンドンのオックスフォード・ストリートに建てられた。
商品を自由に手に取ることができようになり、そして、店員にはもし客が何も買わなくても嫌な顔一つするな、とのアメリカ式の接客サービスを叩き込んだ。
そこで出てくるのが、"The customoer is always right." である。こうしてセルフリッジは大成功を収め、今日まで至るのである。
先生によれば、当初よりは少々庶民向けではなくなってしまったらしいが…。とにかく人気デパートであることには変わりはない。

参考  Shopping in the Past

Selfridges & Co



JUNE 1, 2004  「省エネと電灯」

[Light]

フランス語の授業で「ミニュトリ (MINUTERIE)」という語が出てきた。一定時間経つと自動的に消える仕組みの電灯である。Minuterieとは、英語でTimerのこと。

たしか旅行記にも書いたと思うが、私はこの「ミニュトリ」のようなものに、シテ島のとあるカフェで遭遇した。
店の奥にあるトイレに入って電気のスイッチを探したら、ツマミを見つけた。ダイヤルの周りには何分と目盛りが書いてあり、自分の必要な分だけひねるようになっている。 これなら消し忘れもなくて良い。

私はそれまで、フランスが省エネ大国だと特に意識した事はなかったが、初めて訪れて、実際に体験して何となく自然と感じられたのだった。

留学中、クラスメイトに「部屋の電灯が暗い」とこぼすと、「ヨーロッパって大抵電灯暗いよね」と言われた事がある。 それが省エネなのか、家で蛍光灯を使う習慣がないのか、私には分からない。(ステイした家には唯一キッチンには蛍光灯があった)
夜型人間には辛いほど暗い。仮に、あの地域の家が皆、部屋に電球一つといった状態であるとしたら、子供たちは、家に帰ってきてから勉強しないか、あるいは目を悪くするかのどちらかな気がする。

[Litter]

パリは観光客誘致に命を懸けている。莫大な金をかけて石畳を整備したり、一定時間ごとにゴミ収集したり…。散歩していたらきっと、全身緑色の作業着に蛍光黄色のベストを着た清掃員が見られるだろう。
ロンドンにしてもパリにしても街中にゴミ箱が設置されていて便利だと思った。 日本は殆ど置いてない事が多いが(表参道には大きなゴミ箱が設置されていたが…)、その割にポイ捨てが目立つ訳でもないような気がする。国民性の違いか、ゴミ箱の付いたコンビニが沢山あるせいか…。ゴミ箱があったとしても、はっきりいってロンドンのほうが街中にゴミが散らばっている確率が高い気がした。もちろん場所にもよるが。やはりそこに暮らしている人々の生活格差が、日本よりも大きく、街の治安と景観を左右しているのかもしれない。



MAY 16, 2004  「建築家エクトル・ギマール」

(Homeのコメントの加筆修正版)

15日、テレビ東京『美の巨人たち』を見た。今日の特集はパリの建築家エクトル・ギマール。あのメトロの入口の設計をした人である。
「街路樹のように街の景色に溶け込んだ」と番組で紹介されていたが、本当にあの緑色の鉄の装飾は街に溶け込んでいて、駅を見つけるのに一苦労であった…。

シテ島の中心にある駅の入口も、その近くが植木屋のようになっているせいで、やっぱり溶け込んでいた。エッフェル塔近くの駅が一番私には分かり難く、入口を探し当てるのに何分費やしたことか…。(といっても後者はギマール設計でもなんでもなく、ごく普通の入口であるが。)
ロンドンのUndergroundの看板があまりにも目立って分かりやすかったので、ギャップが激しかったのだ。

この番組を見るまでは、はっきりいって彼がデザインした、あの独特なフォントで "METROPOLITAIN" と書いてある看板があまり好きにはなれなかった。だが、番組が進むにつれ、どんどんギマールの魅力に惹かれていく自分に気付いた。

オルセー美術館に何故家具が展示してあるんだろうと思っていたが、彼の作品だったとは。あまり気にせず素通りしてしまった。TVに映った家具たちを改めて見ると、アールヌーボーの曲線が大変美しい。

こうして魅力に取り付かれる一方で、当時のパリの人々が彼の作品を受け入れなかったのも分かる気がする。得てして革新的なものは、受け入れられにくいものだ。



MAY 8, 2004  「フェルメールを語る」

東京都美術館で開催中の
『フェルメール「画家のアトリエ」栄光のオランダ・フランドル絵画展』 を見に行った。
表題作、「画家のアトリエ」は日本初公開らしい。土曜日なので込み合っているかと思ったが、午後5時頃に入館したので、空いていた。

フェルメールは、ロンドンのナショナル・ギャラリーと、パリのルーブルで数枚見た。 「数枚」などと曖昧に書いたのも、実はあまりフェルメールを意識せずに見学していたので、 それと気付かなかったものもあるからだ。アルファベット表記が日本語とかけ離れたVermeerであったせいもあるだろう…。
確かに見た記憶のあるものを紹介しよう。

まず、ナショナルギャラリーは2作品所蔵しているらしいが、私が覚えているのは、
「ヴァージナルの前に立つ女」(A Young Woman Standing at a Virginal)
ヴァージナルという鍵盤楽器の前に、豊満な女性が立っていて、こちらを向いて微笑んでいる絵。英語の題名は若い女性ということになっているが、私には、オバサマにしか見えなかった…。割と小さくて薄暗い個室にさりげなく展示されている。
窓のある一室にモデルがたたずんでいるといった、フェルメールとしては典型的な構図なのではないだろうか。

ルーブルにも2作品ある。
「レースを編む女」(The Lacemaker)と、「天文学者」(The Astronomer)である。
これまたさりげなく展示してあるので、もし「レースを編む女」の前に人だかりが出来ていなかったら、見逃していたかもしれない。 「レースを編む女」は、格別小さな作品。ポストカードくらいのサイズしかないように思えるほど小さい。(実際は、24×21cm)
しかし、小さいながらも名作として名高いだけあって、見応えのある素晴らしい作品だった。
「天文学者」のほうは、全体の色調が暗い。そして、珍しく男性モデルである。なんだかファンタジーのような可愛らしい作品に思えた。


さて、今回の美術展に話を戻そう。
はっきりいってしまえば、少々期待はずれな展覧会であった。オランダ・フランドル地方の作家の作品が並んでいるのだが、どうも「おぉ」と思える作品が少なかった。
ただし、展覧会の最後を飾る「画家のアトリエ」は、本当に素晴らしかった。どうしてもフェルメールの作品はサイズが小さいイメージがあったのだが、この作品は結構大きい。(120×100cm) フェルメール自身、生涯手元から放さなかったほど愛着を持っていたらしい。当時としても古く見えたという装束を身にまとった、画面右の画家は、作家自身であると言われている。この衣装がすごく可愛い。ワンピースのような黒い服は背中が縞になっていて、赤いタイツをはいている。床の白と黒のタイルとあいまって、とってもお洒落だ。

売店では、輸入物のフェルメール作品のポストカードも売っていた。その中に、上で述べた3作品も含まれていて、見たときの事を懐かしく思い出された。

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